近所のおじいちゃんがほぼ家族な話

家族ではないけれど家族のように親しく、なんなら家族同然の付き合いがある人、いませんか?うちの実家には2人ほどいます。

私の実家の構成人員は父と妹と私、そして『ねえちゃん』と『おじいちゃん』です。

まず先に『ねえちゃん』の説明をさせてください。

前回の記事でもちらっと触れましたが、うちの実家は自営業をやっています。

 

sasa7923.hatenablog.com

 ねえちゃんは、高卒でうちに就職した、勤続十うん年のベテラン社員さんです。小柄で細身ですが根性のある働き者、でも理性的で合理的な考え方ができる人です。あと美人です。色白で二重ぱっちりで睫毛が長い。純日本人だけどハーフ顔。

母が出て行き父子家庭になってすぐの頃、授業参観に父が来るのがなんとなく恥ずかしく感じて、ねえちゃんに来てほしいと言ったら本当に来てくれたんですよ。しかも1人で。クラスメイトから「あの綺麗な人だれのお母さん?おねえさん?」と噂をされて「うちの家で働いてる人~綺麗でしょ~」と誇らしげになりルンルンで帰宅したのを覚えています。

私と妹が母の元で夏休みを過ごしている間、泣き言をもらす父に「あの子たちは絶対帰ってくる」と励まし続けたのもねえちゃんでした。

ねえちゃんは若くして結婚し出産しましたが当時の旦那さんがモラハラDV夫だったため離婚、今はねえちゃん自身のお父さんお母さんと弟、そして専門学校に通う娘さんと暮らしています。

そして勘の良い人はお気づきと思います。

ねえちゃんは父の恋人です。個人的には公私共のパートナー、の方がしっくりくる。

父曰く私が高校卒業のタイミングで付き合いはじめとのこと。そうかいそうかい。

私にとっても妹にとっても、ねえちゃんは本当に姉のような母のような存在で、父に強く意見を出せるところも含めてめっちゃすきだしめっちゃ大切な存在です。私の性格や生活に対するあり方もねえちゃんの影響を若干受けていて、父からは「親子でもないのに似てくる…」とこぼされます。

私も学生の頃は『ねえちゃんと付き合ってる』アピールをしてくる父に正直殺意が沸いたし、今でも「もっといい男がいるだろうに…」「そんなんだとねえちゃんに捨てられるよ」「むしろ捨てられればいいのに」「いつでも見捨てていいからねってねえちゃんに言いたい」なんて言ってます。いやでも本当にうちの父でいいのかいねえちゃん?ねえちゃんは本当に美人で働き者で気が利いて優しいだけじゃなく厳しいところもちゃんとある人だから、もっといい人いるんじゃないかな?と心配になります。

とは言え私も新しいお母さんはねえちゃん以外に考えられないので、最近は「ねえ私も妹も就職してねえちゃんの娘ちゃんもそろそろ就職だけどいつ結婚するの?というか結婚できるの?わたしねえちゃんのこと母さんって呼ぶ日こないの?」とせっついています。嫌味です。

妹もねえちゃんのことは大好きなのですが、父の『ねえちゃんと付き合ってる』アピールを受けると全力で威嚇している猫のような顔をして父を拒絶します。きっと妹は父の『ねえちゃんと付き合ってる』アピールから「ねえちゃんを性的に扱う要素」を受け取ってしまうんだなぁ、と勝手に推測しています。『おねえちゃんを汚すな!!』ってたまに怒ってるし。

 

そして2人目の『おじいちゃん』。この方とのエピソードは妹が主役です。

元々このおじいちゃん、最初は本当に近所に住むおじいちゃんでした。

前回の記事にも書きましたが、妹は軽度の知的障がいと吃音を持ち、特に中学校はそれなりに人間関係に苦労していました。部活動も父の強い勧めで柔道部に入りましたが、生来争いごとや競争、上下関係を決めることが嫌いで平和主義者の妹、柔道部は苦痛でしかなかったようです。しかも妹が在籍していた柔道部は生徒より保護者の方がアツい部活動で、試合のときも野次まがい罵声まがいの声援が飛び交う飛び交う。妹は試合にも出ていましたがすぐに相手に技をかけられにいくスタイルで、公式戦でも練習でも白星をあげたことはありません。おかげで受け身はめっちゃうまくなってた。

まあそんなこんなでそれなりに学校生活で苦しんでめそめそ泣きながら帰宅する途中の妹をお家に招いてくれたのが、おじいちゃんの奥様である『おばあちゃん』でした。

おばあちゃんはお庭のお花を手入れするのが趣味で、いつもお外にいる人でした。『外で出会った人には挨拶を』を徹底指導していた中学校に通っていたので、ほぼ毎朝毎夕妹は挨拶をしていました。(私は部活動が朝早く、終わるのが遅かった勢でした)

そこで遺憾なく発揮される妹のにこにこビ――――――――ム!!妖怪じじばば殺し!!!

おばあちゃんすぐ妹にメロメロになりました。

妹も当時、弱音やなんとなく家族に話したくない話をおしゃべりできる身近な友人がおらず、そこから妹とおばあちゃんとの本格的な交流が始まります。

妹はほぼ毎日自宅に帰宅する前におばあちゃんの家に寄り、夕飯の時間ぎりぎりまでおばあちゃんとおしゃべりをしてうちに帰る、というスタイルでした。おばあちゃんの夫であるおじいちゃんもすぐ仲間入りし、気付いたら近所の老夫婦のお家にうちの妹が入り浸っている!?という構図に。父も申し訳ないと思ったのか度々お土産の干物などをお礼がてらお裾分けしていました。

おばあちゃんもおじいちゃんもとてもいい人で、「私たちがいつも一緒にいてもらってるのよ。妹ちゃんとおしゃべりするとね、いつも笑顔でね、私たちも明るい気持ちになるの。本当に素直でいい子で…」という話をしてもらうたび、「そんな風に思ってくれるあなたたちが素敵なんだよ…なんだこのできた人たちは」と恐縮したものです。

そんな生活が2年半ほど続いたある日、おばあちゃんが突然亡くなります。眠っている間の脳梗塞でした。本当に突然で、妹はいつも近くにいる人が突然いなくなってしまう経験を、そのとき初めてしたのではないかと思います。静かに、落ち込んでいましたが、それ以上に憔悴しているおじいちゃんに、そっと寄り添いに行きました。

私は、正直なところ私自身がとてもお世話になった、という訳でもないし、他人であるおじいちゃんに寄り添うものでもないなと思った。でも妹は寄り添った。違う人間だな、とぼんやり思いました。

 

その後、妹だけでなく父も私もまとめておじいちゃんと交流を持つようになります。急に独り身になったおじいちゃんを気遣い、うちに夕飯を招待したりおじいちゃんのお家に招待されたりするようになりました。妹はおじいちゃんのお家にお泊りするようにもなり、高校に入る頃にはすでに入り浸っていた…。

おじいちゃんもさみしかったのか、妹を歓迎し、気付いたら妹の高校入学祝いにパソコンやタブレットをプレゼントしてくれたり、めっちゃ外食連れてってくれたり、海外旅行を一緒に行ったり、旅行がてら本州に住んでいる息子さん一家に会わせてご自分のお孫さんと妹を一緒に遊ばせたり、ゲームやらお洋服やら靴やら買い与えてくれるようになっていました。

 

…ここまで書いて「あれ?この関係って正常なの?」と思いはじめましたがもうこの問いには「関係性に正常か正常じゃないかで決めるのやめよう」と脳内で自己完結をさせます。もうこのループは飽きるほど考えた。正直そんなにうちの妹にお金落としてなんになるの、とは今でも若干思う。

 

ですが当のおじいちゃんは「好きでやってるというかもはや妹ちゃんは私の生きがいだからさせてほしい」と言い、その言葉でうちの父は妹を甘やかさないでポジションからもういいじゃない好きなら好きなだけ甘やかしていいよおじいちゃーーん!ポジションに切り替えました。

今では妹は1週間のうち5日間はおじいちゃんのお家にいますし、なんなら妹の仕事の送り迎えもほぼおじいちゃん。私服は全部おじいちゃんチョイスです。しかも結構センスがいい。なんか妹の服を買うたびに若い女性向けの雑誌読んで勉強するらしい。すげえなおじいちゃん。

内心最近までは『おじいちゃんの息子さんたちに“親父の遺産食い潰しやがって!!”って恨まれたらどうしよう…』と思ってた。ですがおじいちゃんは妹に物を与えるだけではなく、変な男が寄ってきたら追っ払い、仕事がある父に代わって妹と一緒に就労施設に入って妹の働きぶりを見守り、時に社会人としてアドバイスし、父にはその様子を伝えて一緒に妹の今後を考えてくれるなど、妹が社会に出るにあたってかなりの貢献をしてくれている人なのです。

もう「孫よりかわいい」とか言ってる場合ではない。この献身はどこから来るんだろう。

 

っと思っていた矢先、おじいちゃんが脳出血で入院しました。

異変に気付いたのはうちの父。いつものように妹をおじいちゃんの家まで迎えに行ったとき、明らかに具合が悪そう。そして話を聞くと「意識がはっきりしないときがある」「めまいがする」「痙攣がする」

すぐに病院に連れていき、検査を受けたら脳出血でした。入院することになり、手続きは全て父がやりました。

幸いにも入院前後の意識はずっとはっきりしており、手術をせずに回復することができました。リハビリもすぐに入ることができ、看護師さんもびっくりの異例の回復スピードでした。

ですが、これで改めて直面した『おじいちゃん高齢化&近くに身寄りがいない問題』。

とりあえずこのときは本州に住むおじいちゃんの長男さんの奥さんに連絡をして、本人の治療をする意思がはっきりしていたこととそこまで緊急性がないと判断されたためかよくわかりませんが父が入院手続きをする際、病院からは何も言われなかったそうです。

 

しかし、おじいちゃんは比較的その後すぐに、今度は肺炎で入院することになりました。

またもや具合の悪そうなおじいちゃんを父が病院に連れて行き、今度はそれなりにヤバい状態だったらしく、すぐに入院&治療が必要です本当にこのままあと2日くらいほったらかしてたら死にますよと医者にマジ顔で言われる。

父は冷静に入院手続きが前のようにすんなりいくか心配したらしいです。

しかしこのときおじいちゃん、前回の入院のとき、妹に会えないのと病院食が不味かったのがよっぽど堪えたのか、入院したくないと駄々をこねる。

「1回家に帰ってから考えさせてほしい…」

いや今すぐ入院しないと死ぬよ!と言うお医者と父の傍らで、その言葉にショックを受けたのが妹。

お医者の『死ぬよ宣言』の後に続くおじいちゃんの「1回家に帰ってから考えさせてほしい…」という発言は、妹には「いつ死んでもいい」と感じたのかもしれません。

「おじいちゃん、お医者さんの言うこと聞かないと、だめでしょ!」

そう言って、めそめそすんすん泣きながら「入院してよお」という妹に、おじいちゃんもつられて号泣。でもこれ、血縁関係まっったくないんだぜ。不思議だよな。

父は、「すいません私たち血縁関係はなくて近所に住む者なんですけど、私が入院手続きしても大丈夫なんでしょうか?」と淡々と入院手続きを進めようとしてました。

ですがこの病院、脳出血のときの病院とは打って変わって「血縁関係の方でないと治療の許可もできないし入院手続きもできない」と冷静に言われてしまいます。今回の肺炎は緊急性があり、急いで血縁の方に連絡を取ってくださいと言われたため再び本州に住むおじいちゃんの長男さんの奥さんに連絡をして、おじいちゃんは無事入院し治療を受けることができました。

 

今は無事治療を終えて退院し、体力も大分回復したし、食欲もかなり元のペースに戻ってきました。

妹もおじいちゃんの健康を気遣い、おじいちゃんの家の草刈りや洗濯、掃除を率先して行い、「お酒はやめなさい!」と鬼孫ぶりを発揮しています。今までただ甘えてただけだと思ってたけど、ちゃんと長生きしてほしいんやな。

 

そして、もう2度も入院手続きをしてしまったからにはやはりおじいちゃんの息子さんときちんと会ってお話すべきでは…となり会ってきました!本州に住む長男さんと北海道に住んでるけど遠方な次男さん。

毎年大晦日からお正月にかけて、おじいちゃんが次男さんに頼んで蟹を調達してもらっていたのですが、そのときやっとお礼を言えました。直前お礼も言えず10年も蟹食っててすみません。

その場でやっと、おじいちゃんと我が家の交流、妹とおじいちゃんのことについてお話しました。

傍から見れば奇妙な関係かもしれない。普通じゃないかもしれない。

だけど妹がこの歳まで優しく、素直な子に育ったのは間違いなくおじいちゃん、そして亡くなったおばあちゃんの尽力のおかげです。

これからもおじいちゃんとの交流を続け、健康と生活をお互い見守れるようにしたいという父の願いは、あっさり受け入れてもらえました。

今は週2回、父と妹がおじいちゃんをお招きして食事会をやり、たまに父がおじいちゃんの家に行って家の様子を見ています。こないだは私も草刈りしました。

 

一家の中では一番遠巻きに見てますが、私もいつも妹を優しく見守り、傍にいてくれるおじいちゃんに感謝しています。

長生きしてな。